奈良の知ってましたか?シリーズ

2020.8.13 コラム

先日ご紹介した中川政七商店の『麻の七夕飾り』ですが、今日は中川政七商店についてその歴史を少しご紹介したいと思います。

中川政七商店は私の地元奈良の企業です。
今ではいたるところで店舗を見かけるようになりましたが、1716年奈良晒黄金期に初代中屋喜兵衛さんが奈良晒の商いを始めたのが、中川政七商店の始まりで、その歴史は300年にも渡ります。

1898年、江戸時代後期から、越後や近江といった他産地の勢いが増し、生産量は往時の10分の1ほどに。そして、明治維新により武士が消滅したことで最大の需要源を失い、奈良晒の衰退は決定的なものとなりましたが、この難局に立ち向かったのが9代中川政七さんで、当時の品質を守り続け、風呂あがりの汗取りや産着などを開発し、新しい市場を切り開いたそうです。
1912年、産業は衰退し続け、いったんは廃業寸前にまで追い込まれる中、10代中川政七さんは奈良晒の自社工場をもつことで製造卸として商売を再建させました。この時代、都市における手工業として再出発した奈良晒は、農家の婦女子の農閑期の大切な家内労働でした。そこに目をつけ、機場を月ヶ瀬・田原・福住に、晒工場を木津川に建て、市場から消え去ろうとしていた奈良晒の復興に尽力されました。
1953年、高度成長期真っ只中の日本で、人件費・つくり手の高齢化などの問題により、手仕事での奈良晒の製造は難しくなっていきました。奈良晒製造卸業から撤退するか、または国内での生産体制を機械化するか。同業者はどちらかを選択していきましたが、11代中川巖吉さんはどちらも選ばなかったそうです。
こだわったのは「手仕事から生まれる独特な風合いを守る」ことでした。そこで人件費を安く抑えるため、生産拠点を韓国、そして中国へと移し、昔ながらの製法を守られたそうです。
歴史はまだまだ続くのですが、ご紹介するのはここまで。

上記の「手仕事から生まれる独特な風合いを守る」という部分と弊社の「私たちの手でしか出来ないコト」の無限の可能性にこだわり、創造と革新に挑戦し続けたいという部分が自分の中で重なり是非とも紹介したいと思いこの記事を書きました。

時代や背景は全く違いますが、今も昔も変わらずまだまだ手でしか出来ないコトはたくさん残っています。そんな企業様に対し少しでもお役立ち出来ればと思っています。